日記
Ee, Mare, ee, da beira mar...
Ee, Mare, ee, da beira mar...
Mare subiu mare desceu,
mare da beira mar
カポエイラ百科事典vol.16
パンデイロとは
パンデイロは、ブラジルのタンバリン型の打楽器で、片面の膜と複数のジングルがついています。手のひらと指で叩いてリズムを刻みます。
今回は、カポエイラ音楽を軽快に彩る楽器、パンデイロについてみていきましょう。
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■ 起源と伝来
パンデイロのルーツは、中東や北アフリカにあり、そこからヨーロッパ(特にポルトガル)を経て、植民地時代にブラジルへ伝わりました。
当時のパンデイロは宗教儀式やダンス、行列など、様々な場面で使われていました。
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■ カポエイラでの使用
1. 19世紀後半のカポエイラ
パンデイロはアタバキやビリンバウとともに、古くからホーダで演奏されてきました。
特に、ビリンバウのリズムを補強し、グルーヴを作る役割があります。
2. ビンバの改革(カポエイラ・ヘジョナウ)
1930年代、メストレ・ビンバがカポエイラ・ヘジォナウを体系化した際、音楽にも改革を加えました。
ビンバは、1本のビリンバウ(gunga)と2つのパンデイロを基本に据えた演奏スタイルを導入。
これは、よりアグレッシブで戦いに適したリズム構成を生み出すためのものでした。
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■ 他のジャンルとの関わり
パンデイロはサンバ、フォホー、ショーロなど、ブラジル音楽全般でも非常に重要な楽器です。
カポエイラでは、その汎用性と携帯性から、ストリートや海外のイベントでもよく使われるようになりました。
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■ 現代の役割
現在のカポエイラでは、パンデイロの存在はほぼ必須といえます。
リズムにグルーヴや表現力を加え、歌との掛け合いも豊かになります。
パンデイロを叩きながら歌をリードする歌い手も多いですね。
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■ まとめ:パンデイロの魅力
カポエイラのパンデイロは、ただリズムを刻むだけでなく、雰囲気や流れを生み出す楽器でもあります。
パンデイロの打ち方ひとつで、ホーダの空気が変わる――そんな奥深さが、この楽器にはあると思います。
Samba lele bateu na porta
Samba lê lê bateu na porta,
Samba lê lê vai ver quem é?
Samba lê lê e meu amor,
Samba lê lê samba no pé.
https://youtu.be/jftQWUZFevY?si=vmuLXBtLIh4Hyug5
Quem Vem Lá Sou Eu
Berimbau bateu capoeira sou eu
https://youtu.be/08hh4h1zrKg?si=qQE9KcrGMCl3ppHD
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Quero água pra beber
Quero água pra lavar
Quero água pra benzer
Quero água
Maculele
Boa noite pra quem é de boa noite
bom dia pra quem é de bom dia
a benção meu papai a benção
maculêlê é o rei da valentia
https://youtu.be/iAnPFJ6enRE?si=16VbkQ9Jop5yUtq0
Eu disse camarada que eu vinha
na tua aldeia camarada um dia
eu disse camarada que eu vinha
na tua aldeia camarada um dia
カポエイラ百科事典vol.15
【メストレ紹介②:メストレ・パスチーニャ】
今回はカポエイラの歴史を語る上で欠かせない人物、メストレ・パスチーニャ(Mestre Pastinha)を紹介します。
カポエイラ・アンゴーラ(Capoeira Angola)の象徴的な存在であり、メストレ・ビンバと並んで現代カポエイラの礎を築いた人物です。
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1.本名とあだ名の由来
• 本名:Vicente Ferreira Pastinha(ヴィセンチ・フェレイラ・パスチーニャ)
• 生年月日:1889年4月5日(バイーア州サルヴァドール)
• 「Pastinha(パスチーニャ)」というあだ名は、子どもの頃に絵の具を使って絵を描くのが好きで、「小さな絵の具(pastinha)」と呼ばれたことが由来とも言われています。
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2.カポエイラとの出会い
幼いころ、同じ町に住むアンゴラ人の「ベネディート」にいじめられていたパスチーニャ少年は、近所の年配のカポエリスタから技術を教わり、やがてベネディートを打ち負かしたと言われています。これがカポエイラとの出会いでした。
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3.指導者としての姿勢
パスチーニャは、カポエイラを哲学的・精神的な鍛錬の場と捉えていました。彼はこう言っています:
「カポエイラはアグレッシブな格闘技ではない。カポエイラは知恵であり、自由であり、表現だ。」
このように、彼の教えは暴力を否定し、遊び心・リズム・相手との対話を大切にするものでした。
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4.アカデミー設立と文化的功績
1941年、サルヴァドールの「ペローリーニョ」に自身のカポエイラ・アンゴーラのアカデミーを開設。
ビンバの「ヘジォナウ」に対して、パスチーニャは伝統を守る「アンゴーラ」として活動を広げ、数多くの弟子たちを育てました。
また、ブラジル国外の文化イベントなどにも出場し、カポエイラが単なる格闘技ではなく、文化・芸術であることを世界に示した人物でもあります。
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5.晩年とその後の影響
晩年は不遇で、視力を失い、住む場所も失ってしまいますが、それでも彼の精神は多くの弟子に受け継がれました。彼の門下からは、メストレ・ジョアォン・グランジ、ジョアォン・ペケーノ、モライスなど、後の名メストレたちが輩出されました。
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6.メストレ・パスチーニャの名言
“Capoeira é tudo que a boca come.”
「カポエイラとは、口に入るすべてのものだ」
(=カポエイラは生きることそのもの、すべてとつながっている)
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メストレ・パスチーニャの存在なくして、今のカポエイラ・アンゴーラは語れません。彼の残した哲学と姿勢は、今も世界中のホーダで息づいています。