日記
カポエイラ百科事典 vol.20
カポエイラの歌を知る:Dona Maria do Camboatá
みなさん、こんにちは。
今回は、カポエイラの歌 「Dona Maria do Camboatá」 について少し紹介します。
カポエイラの歌には、ただリズムを作るだけではなく、歴史や人物、土地の記憶が込められているものがたくさんあります。
「Dona Maria do Camboatá」も、その一つです。
歌詞には、次のようなフレーズがあります。
Dona Maria do Camboatá
Ela chega na venda e manda botá
Dona Maria do Camboatá
Ela chega na venda e dá salto mortá
Dona Maria do Camboatá
Ela chega na venda e começa a gingar
意味としては、
「カンボアタのドナ・マリア。
彼女は店に着くと、“出しな”と命じる。
彼女は店に着くと、宙返りをする。
彼女は店に着くと、ジンガを始める。」
というような内容です。
ちなみに「Camboatá(カンボアタ)」とは、バイーア州の地名として伝えられている名前です。つまり Dona Maria do Camboatá は、「カンボアタのドナ・マリア」という意味になります。
「venda」は、店や酒場のような場所を指します。
そこにDona Mariaが現れると、彼女は遠慮するのではなく、堂々と振る舞います。
また、宙返りをしたり、ジンガを始めたりします。
これは、カポエイラの世界でとても象徴的です。
カポエイラは長い間、男性中心に語られることが多かった文化です。
しかし実際には、歴史の中には女性たちも存在していました。
また、このDona Mariaは、20世紀初頭のバイーア、サルヴァドールに実在した女性と関係があるのではないか、という研究もあります。
魚売りで、喧嘩も強く、サンバや酒場の文化にも関わっていた女性だったのではないか、という説です。
ただし、これはまだ「確定した事実」というより、研究上の有力な仮説です。
なので、私たちは慎重に、しかし想像力を持って、この歌を受け取ることが大切です。
この歌では、Dona Mariaはただ名前だけで登場します。
細かい説明はありませんが、
Dona Mariaとは、場の空気を変えるほどの存在感を持った女性なのだ、
ということが分かります。
短い歌ですが、そこにはカポエイラらしい力強さと、人物を歌の中に残していく面白さがあります。
Aquinderre
Ai, ai ai ai Aquinderre, lalae laelaCoro: RepeatO lele Coro: Ai ai aiO leleCoro: Ai ai ai
https://youtu.be/EBRHZY1bEzI?feature=shared
https://youtube.com/shorts/uT3Xhg8S870?si=XhZMlRe_-hhbbtYF
A Manteiga Derramou
Vou dizer ao meu senhor
Que a manteiga derramou
A manteiga não é minha
A manteiga é de ioiô
Coro: Vou dizer ao meu senhor
Que a manteiga derramou
Ê, a manteiga não é minha
A manteiga é de ioiô
Ô, a manteiga não é minha
A manteiga derramou
Ô, a manteiga não é minha
Caiu no chão e derramou
Fro Fro Fro de Jua
カポエイラ百科事典vol.19
Mestre Leopoldina
カポエイラの歴史には、
技やスタイルだけでは説明できない人物がいます。
今回紹介する、メストレ・レポルジーナも、その一人です。
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カーニバルの土曜日に生まれた少年
メストレ・レポルジーナ
(本名:デメルヴァル・ロペス・デ・ラセルダ)は、
1933年、リオ・デ・ジャネイロで
カーニバルの土曜日に生まれました。
母親に育てられ、その後は叔母や近所の女性たちに世話をされながら成長します。
まだ幼い頃、彼は家を飛び出し、
リオ中心部と郊外を結ぶ中央ブラジル鉄道(セントラル線)周辺で、
列車に乗る子どもたちに飴玉を売って生活するようになります。
この頃の路上生活が、
彼の処世術や立ち振る舞いの基礎を形づくっていきました。
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SAM(未成年者保護施設)での日々
十代の頃、極度の貧困の中で、
レポルジーナは自らの意思で
SAM(未成年者保護施設)に入ります。
恐れられていた施設でしたが、
彼自身はこの時期を否定的には語っていません。
水泳を学び、
施設のある島の周囲を日常的に泳ぎ回ることで、
彼は高い身体能力を身につけました。
路上で生きてきた経験は、
施設の中でも彼を自然と人の中心へと導き、
状況を読む力をさらに磨いていきます。
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路上のカポエイラとの出会い
施設を出た後、
新聞売りとして生計を立て、やがて仲間をまとめる立場になります。
この頃、彼は
キンジーニョ(ジョアキン・フェリックス)と出会います。
キンジーニョは、
ビリンバウを使わないリオの裏社会のカポエイラ
「チリリカ」を操る人物でした。
この出会いが、
レポルジーナとカポエイラを結びつける最初のきっかけとなります。
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バイーアのカポエイラとの接続
キンジーニョが獄中で殺害された後、
身の危険を感じたレポルジーナは一時姿を消します。
再び街に戻った彼が出会ったのが、
バイーア州イタブナから来た
アルトゥール・エミディオでした。
1954年頃、
レポルジーナは彼の弟子となり、
ビリンバウに合わせて行う
バイーアのカポエイラを学びます。
リオの路上で培った感覚と、
バイーアの形式が、
彼の身体の中で結びついていきました。
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港、そしてサンバ・マンゲイラへ
港湾で働き、
港湾労働者組織に所属した後、
事故による早期退職を経て、
レポルジーナはより自由な生き方を選びます。
1961年、28歳のとき、
彼はサンバ学校マンゲイラのカーニバルに初参加します。
マンゲイラは、
カポエイラをパレードに取り入れた最初のサンバ学校でした。
レポルジーナは60人ものカポエイリスタを組織し、
カポエイラを祝祭の場へと導いていきます。
この関係は、1970年代半ばまで続きました。
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メストレ・レポルジーナが残したもの
レポルジーナは、
多くを語る人物ではありませんでした。
しかし、
路上、施設、港、祝祭という場を生き抜いた彼の姿そのものが、
カポエイラのもう一つの歴史を今に伝えています。


