日記
Samba lele bateu na porta
Samba lê lê bateu na porta,
Samba lê lê vai ver quem é?
Samba lê lê e meu amor,
Samba lê lê samba no pé.
https://youtu.be/jftQWUZFevY?si=vmuLXBtLIh4Hyug5
Quem Vem Lá Sou Eu
Berimbau bateu capoeira sou eu
https://youtu.be/08hh4h1zrKg?si=qQE9KcrGMCl3ppHD
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Santo Antônio quero água
Quero água pra beber
Quero água pra lavar
Quero água pra benzer
Quero água
Maculele
Boa noite pra quem é de boa noite
bom dia pra quem é de bom dia
a benção meu papai a benção
maculêlê é o rei da valentia
https://youtu.be/iAnPFJ6enRE?si=16VbkQ9Jop5yUtq0
Eu disse camarada que eu vinha
na tua aldeia camarada um dia
eu disse camarada que eu vinha
na tua aldeia camarada um dia
カポエイラ百科事典vol.15
【メストレ紹介②:メストレ・パスチーニャ】
今回はカポエイラの歴史を語る上で欠かせない人物、メストレ・パスチーニャ(Mestre Pastinha)を紹介します。
カポエイラ・アンゴーラ(Capoeira Angola)の象徴的な存在であり、メストレ・ビンバと並んで現代カポエイラの礎を築いた人物です。
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1.本名とあだ名の由来
• 本名:Vicente Ferreira Pastinha(ヴィセンチ・フェレイラ・パスチーニャ)
• 生年月日:1889年4月5日(バイーア州サルヴァドール)
• 「Pastinha(パスチーニャ)」というあだ名は、子どもの頃に絵の具を使って絵を描くのが好きで、「小さな絵の具(pastinha)」と呼ばれたことが由来とも言われています。
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2.カポエイラとの出会い
幼いころ、同じ町に住むアンゴラ人の「ベネディート」にいじめられていたパスチーニャ少年は、近所の年配のカポエリスタから技術を教わり、やがてベネディートを打ち負かしたと言われています。これがカポエイラとの出会いでした。
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3.指導者としての姿勢
パスチーニャは、カポエイラを哲学的・精神的な鍛錬の場と捉えていました。彼はこう言っています:
「カポエイラはアグレッシブな格闘技ではない。カポエイラは知恵であり、自由であり、表現だ。」
このように、彼の教えは暴力を否定し、遊び心・リズム・相手との対話を大切にするものでした。
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4.アカデミー設立と文化的功績
1941年、サルヴァドールの「ペローリーニョ」に自身のカポエイラ・アンゴーラのアカデミーを開設。
ビンバの「ヘジォナウ」に対して、パスチーニャは伝統を守る「アンゴーラ」として活動を広げ、数多くの弟子たちを育てました。
また、ブラジル国外の文化イベントなどにも出場し、カポエイラが単なる格闘技ではなく、文化・芸術であることを世界に示した人物でもあります。
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5.晩年とその後の影響
晩年は不遇で、視力を失い、住む場所も失ってしまいますが、それでも彼の精神は多くの弟子に受け継がれました。彼の門下からは、メストレ・ジョアォン・グランジ、ジョアォン・ペケーノ、モライスなど、後の名メストレたちが輩出されました。
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6.メストレ・パスチーニャの名言
“Capoeira é tudo que a boca come.”
「カポエイラとは、口に入るすべてのものだ」
(=カポエイラは生きることそのもの、すべてとつながっている)
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メストレ・パスチーニャの存在なくして、今のカポエイラ・アンゴーラは語れません。彼の残した哲学と姿勢は、今も世界中のホーダで息づいています。
Berimbau Viola - João Grilo
Berimbau viola
chama o seu dotor vou jogar angola
na ilha de sao salvador
カポエイラ百科事典vol.14
【メストレ紹介①:メストレ・ビンバ】
今回は、カポエイラの歴史を語るうえで欠かせない人物、メストレ・ビンバ(Mestre Bimba) についてご紹介します。カポエイラを学ぶなら、そのルーツを知ることも大切。ビンバがどのようにカポエイラを変え、広めていったのか、一緒に見ていきましょう。
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1. 現代カポエイラの父、メストレ・ビンバとは?
メストレ・ビンバ(本名:Manoel dos Reis Machado)は、1899年11月23日、ブラジル・バイーア州サルバドールに生まれた伝説的なカポエイリスタ です。
彼は、当時「犯罪者の戦い」と見なされていたカポエイラを近代的な武術・芸術として確立 し、社会的に認められるものへと変えました。その功績から、彼は 「カポエイラの父」 とも呼ばれています。
幼少期からカポエイラを学び、強さと技術で名を馳せたビンバは、やがて独自のカポエイラスタイルを確立します。それが 「カポエイラ・ヘジォナウ(Capoeira Regional)」 です。
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2. カポエイラ・ヘジォナウの誕生
1930年代、カポエイラはまだ非合法で、「ならず者の戦い」として扱われていました。
しかし、ビンバは カポエイラが立派な武術であり、教育にも役立つものであることを証明したい と考え、伝統的なカポエイラに新しい要素を取り入れました。
カポエイラ・ヘジォナウの特徴は:
①より速く、強い動き – 戦闘性が強調されたスタイル
②トレーニングシステムの確立 – カリキュラムを導入し、効率的に学べるようにした
③格闘技の要素を取り入れる – ボクシングやレスリングの技術を応用
1932年、彼はブラジル初の正式なカポエイラアカデミー を設立し、カポエイラを体育教育の一環として教え始めました。
これが、カポエイラの社会的な認知を大きく変えるきっかけとなりました。
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3. ビンバの影響と功績
メストレ・ビンバの影響は絶大で、彼がいなければカポエイラは現在のような国際的な武術になっていなかったかもしれません。
・カポエイラの合法化
彼の活動によって、1940年にカポエイラは正式に合法化され、国家的に認められるようになりました。
・カポエイラの社会的地位の向上
それまでカポエイラはストリートファイトと見なされていましたが、ビンバは制服を導入し、礼儀や規律を重視 することで、社会的に受け入れられるものにしました。
・技術体系の確立
彼は「8つの連続技(Sequências de Bimba)」を作り、初心者でも体系的に学べるようにしました。これは現代のカポエイラ教育にも受け継がれています。
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メストレ・ビンバは、1974年に亡くなりましたが、彼の影響は今もなお強く残っています。
今日では、多くのカポエイラグループが彼の教えを受け継ぎ、練習を続けています。