日記
カポエイラ百科事典vol.13
逆立ちの健康効果
今回は、カポエイラのトレードマークの一つ「逆立ち」の効果について紹介します。
逆立ちは、カポエイラの技としてだけでなく、日々の生活や健康にも大きなメリットをもたらします。
1. 体幹と上半身のパワーアップ
逆立ちは腕や肩だけでなく、腹筋や背筋といった体幹全体を使います。
体幹の安定性が向上すると、カポエイラ特有の流れるような動きがさらにスムーズになります。
2. 姿勢改善&柔軟性アップ
定期的に練習することで、日常の姿勢も自然と改善します。猫背や肩こりの解消にも繋がります。
3. 血流促進で脳がシャキッと
逆立ちの効果で、重力に逆らって血液が頭部へしっかり流れます。
脳への酸素供給が増え、集中力やクリエイティビティがアップ。
練習前のウォームアップとしても最適。起き上がるとスッキリとした感覚を味わえます。
4. バランス感覚&自信を鍛える
倒立は、体全体のバランス感覚を研ぎ澄まします。
逆立ちができるようになると、他のアクロバティックな動作にも挑戦しやすくなり、自信もアップ!
少しずつ挑戦し、無理なく自分のペースで上達を目指しましょう。
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カポエイラの中で逆立ちは、遊び心と鍛錬の両方を兼ね備えた魅力的なトレーニングです。
クラスでは、逆立ちを安全に楽しくトレーニングできる時間を設けています。
練習方法は様々ですが、お家でも取り組みやすいトレーニングもあります。
安全に注意しながら、日常のトレーニングに取り入れて、カポエイラライフをもっと楽しく、健康的にしていきましょう!
Axé!
カポエイラ百科事典vol.12
ブラジルのカウボーイ"ヴァケイロ"
カポエイラの歌は数えきれないほど多く存在し、今この瞬間も新しく生まれ続けています。
そんな中で、カポエイラ以外の文化から取り入れられた歌もたくさんあります。
今月の歌も、その流れから生まれた歌のひとつです。
♪Ponha lá, vaqueiro, ponha jaleco de couro♪
(カウボーイよ、革ジャンを着て向かえ)
Vaqueiro(ヴァケイロ)とはカウボーイのことで、Boiadeiro(ボイアデイロ)と呼ばれることもあります。
ブラジルのカウボーイは、厳しい自然環境の中で生き抜く逞しさと、豊かな伝統文化を持っていることから、内陸地方の象徴的な存在としてリスペクトされています。
今回は、歌のテーマにもなっているブラジルのカウボーイ文化について紹介します^_^
ブラジルのカウボーイ文化の起源はポルトガル植民地時代(16世紀)に遡ります。
当時、ポルトガル人が牛を持ち込み、バイーア州サルバドールから牧畜業が始まりました。
それに伴って、広大な土地で放牧牛を管理する役割を担うヴァケイロが誕生し、
ブラジルカウボーイ文化の原型がつくられました。
ヴァケイロは主にブラジル北東部で広がり、独自の文化スタイルを根付かせていきました。
ヴァケイロの最もメジャーな特徴は、なんといってもそのタフなマインドです。
彼らは厳しい環境下での仕事に耐えるため、忍耐強く、自立心が高いと言われています。
彼らの特徴的な衣装と装備は一種のトレードマークのようになっていますが、
もともとは厳しい環境に耐え抜くためにデザインされたものでした。
全身をレザーで覆うことで、牛や木の枝から体を守ることができたのです。
また、自然への愛着も強く、牛や馬だけでなく大地や自然と共存する心構えも持っていました。
そんな彼らの生活を題材にした「フォホー」や「バイオン」といった音楽ジャンルも発展し、
ヴァケイロは単なる牧畜労働者を超えて、文化的な存在感を帯びていきました。
現代では、すっかりブラジルの伝統文化の象徴として評価され、イベントやフェスティバルの中でその姿が再現されています。
彼らの生活や音楽は、ブラジル北東部の文化として、今もなお強く根付いています。
カポエイラとの歴史的な関連は確認されていませんが、ヴァケイロのマインドにはカポエイリスタと通じるものが多くあるのかもしれません。
気になる方は、是非深掘りしてみてください^_^
カポエイラ百科事典 vol.11
♪今月の歌♪
♪ Manda Leco Cajuê
Manda Loia... ♪
今月練習しているのは、カポエイラでよく歌われるとても有名な歌です。
その内容は、奴隷たちの日常とカシューという南米のフルーツについてです。
*カシューの成木*
ブラジル植民地時代、
アフリカ人奴隷たちは、奴隷主たちが用意した休憩場所よりもカシューの木の下で休むことを好みました。
カシューの木になっているフルーツ(カシューアップル)は栄養価が高く、
奴隷たちは体力を回復させるために好んで食べていました。
*カシューの実*
ちなみに、フルーツの下にくっついている種子は私たちがよく知っているカシューナッツです。
日本ではスーパーやコンビニなどで気軽に買えるカシューナッツですが、フルーツは国内ではあまり見かけません。
カシューは多湿を嫌うため、湿気の多い日本での栽培は難しいようです。
ブラジルのスーパーで売られていたカシュー⬆️
酸味と甘味が入り混じった独特な味わいでした^_^
アフリカ人奴隷たちがこっそりカシューの木の下で休息をとっていることは周知の事実でした。
そんな中、奴隷主はあることに気づきます。
休憩を終えて集合した奴隷の人数が明らかに足りないのです。
そんな時は、「きっと奴隷たちはカシューの木のところにいるに違いない」と考え、
部下をカシューの木に送り、休んでいる奴隷を無理矢理連れ戻したと言われています。
今月の歌は、こういった時代背景をあえて牧歌的に表現することで、
厳しい環境でも前向きに生きようとする奴隷たちのマインドが見え隠れしています。
ちなみに、歌詞に登場する"Leco" と"Loia"は、
一説によると奴隷主がカシューの木に送り込んだ部下の名前ではないかと言われています。
この歌はバリエーションが豊富で、替え歌のように変化してきているので、オリジナルを特定するのは困難ですが、
それがこの歌をより自由で楽しいものにしています。
歌っているカポエイリスタたちのオリジナリティも垣間見えるかもしれません^_^
是非皆さんもこの歌を楽しんでみてください👍
歌のリンク(YouTube)⬇️
カポエイラ百科事典 vol.10
アペリード(ニックネーム)について
カポエイラでアペリードが普及しはじめたのは、カポエイラがまだ法律で禁止されていた時代に遡ります。
当時のカポエイリスタたちは、警察から身元を保護するために、本名を明かさずニックネームで呼び合っていました。
もし仲間の誰かが捕らえられた場合、本名を知らなければ、他の仲間が芋づる式に捕まることを防ぐことができました。
カポエイラは現在では完全に合法であり、身元を隠す必要はありませんが、アペリードの伝統は残っています。
カポエイラのアペリードは、その人の特徴や性格から生まれたもの、動物や自然現象や物語のキャラクターにいたるまで、幅広くあります。
通常ポルトガル語で名付けられますが、例外もあります。
現在、アペリードはバチザード(洗礼式)のタイミングで始めの帯と共に与えられるのが一般的です。
それは通過儀礼であり、グループの一員であることを象徴するものでもあります。
(コハダン大阪では、大人の帯からアペリードが付きます) ↓コハダンジコンタスの帯
このように、カポエイリスタにとってアペリード(ニックネーム)は特別な意義と重要性を持っています。
しかし、ブラジルではカポエイラだけではなく、より広い範囲でニックネームが個人の生活に密着している背景があります。
サッカー選手のニックネーム
エドソン・アランテス・ド・ナシメントは、ブラジル史上最も称賛されているサッカー選手の一人です。
しかし、ブラジル人の多くがブラジルを「サッカーの国」と誇らしげに呼んでいるにもかかわらず、その名はあまりよく知られていません。
彼は国内外で、ニックネームのペレとして知られています。
ペレだけでなく、ブラジルのサッカー選手の多くは、ニックネームで知られています。
ブラジル大統領のニックネーム
ニックネームは政治の世界でも広く使われています。
ブラジルの現大統領はルイス・イナシオ・ダ・シルバという名前でしたが、一般の人々やメディアにはニックネームのルーラで知られていました。
1982 年には、支持者が投票時に簡単に彼を識別できるように、法的に名前をルイス・イナシオ・ダ・ルーラ・シルバに変更しました。
クラウディオの電話帳
ミナスジェライス州の都市、クラウディオの住民たちは、電話帳についてある問題を抱えていました。
誰もがニックネームで呼び合うことに慣れすぎていて、本名がわからない人物が多過ぎたのです。
このことがきっかけで、エリカ・ザネット (通称マルチャ・レンタ) という女性が、住民のニックネームを収録した新しい電話帳を開発しました。「アペリスタ」と名付けられたこの電話帳は、毎年更新されています。
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このように、ブラジルでは、ニックネームは単なる呼び名というだけでなく、
個人のアイデンティティ、所属、功績を表す文化的な要素として深く根付いています。
カポエイラ百科事典 vol.9
今月の歌
♪Os arcos da lapa me faz lembrar
Me faz lembrar, Me faz lembrar♪
カリオカ水道橋、通称"Arcos da Lapa"
全長270メートルに及ぶこの橋は、18世紀半ばにリオデジャネイロのセントラルに建てられました。
当時、アーチ状の建造物の上部には都市へ供給する水が流れており、上水道として機能していました。
現在そのシステムは廃止され、水の代わりに電車が走っており、リオデジャネイロのシンボルとして多くの観光客が見物に訪れます。
また、カポエイラにとっても歴史的に重要な聖地となっています。
今回は、このアルコダラパ周辺の広場、ラパ広場とカポエイラの歴史について解説していきます^_^
ラパ広場で始めにカポエイラがひっそりと行われたのは19世紀の半ば頃でした。
当時はリオの都市開発が積極的に進められており、ラパ広場はその影響をはっきりと映し出していました。
広場周辺にはクラブやレストラン、商店が次々と軒を連ね、アートやダンスなど、文化的にも大いに発展しました。
しかし、同時に悪党の巣窟のようなエリアでもありました。
19世紀の終わり頃にはカポエイラギャング(マウタ)の拠点としても有名になっていました。
その頃のリオのカポエイラは、ギャングたちの喧嘩やストリートファイトの技術であり、音楽など文化的な側面はありませんでした。
また、法律によって禁止されていたこともあり、大っぴらに行うこともできませんでした。
しかし、20世紀中頃にカポエイラ禁止法が解かれると、徐々に大々的なホーダが開催されるようになりました。
特に1950〜1980年代はリオでカポエイラが最も発展した時代となり、ラパ広場はその中心地でした。
今月練習している歌は、大いに盛り上がっていた当時のラパ広場での記憶が歌われています。
しかし、文化として大衆に開かれたとはいえ、当時のラパのホーダはまだカポエイラギャングの色が濃く、かなり危険なものでした。
蹴りや攻撃が寸止めされることはなく、容赦なく振り抜かれるため、熟練者以外は見物するしかなかったと言われています。
90年代にはその色は薄れ、より大衆に受け入れられるようになりました。
今でも広場では定期的にホーダが開催されており、カポエイラの聖地として愛され続けています。