日記

2025-05-25 12:45:00

カポエイラ百科事典vol.15

【メストレ紹介②:メストレ・パスチーニャ】

 

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今回はカポエイラの歴史を語る上で欠かせない人物、メストレ・パスチーニャ(Mestre Pastinha)を紹介します。

 

カポエイラ・アンゴーラ(Capoeira Angola)の象徴的な存在であり、メストレ・ビンバと並んで現代カポエイラの礎を築いた人物です。

 

 

1.本名とあだ名の由来

本名:Vicente Ferreira Pastinha(ヴィセンチ・フェレイラ・パスチーニャ)

生年月日:1889年4月5日(バイーア州サルヴァドール)

「Pastinha(パスチーニャ)」というあだ名は、子どもの頃に絵の具を使って絵を描くのが好きで、「小さな絵の具(pastinha)」と呼ばれたことが由来とも言われています。

 

 

2.カポエイラとの出会い

幼いころ、同じ町に住むアンゴラ人の「ベネディート」にいじめられていたパスチーニャ少年は、近所の年配のカポエリスタから技術を教わり、やがてベネディートを打ち負かしたと言われています。これがカポエイラとの出会いでした。

 

 

3.指導者としての姿勢

パスチーニャは、カポエイラを哲学的・精神的な鍛錬の場と捉えていました。彼はこう言っています:

 

「カポエイラはアグレッシブな格闘技ではない。カポエイラは知恵であり、自由であり、表現だ。」

 

このように、彼の教えは暴力を否定し、遊び心・リズム・相手との対話を大切にするものでした。

 

 

4.アカデミー設立と文化的功績

1941年、サルヴァドールの「ペローリーニョ」に自身のカポエイラ・アンゴーラのアカデミーを開設。

ビンバの「ヘジォナウ」に対して、パスチーニャは伝統を守る「アンゴーラ」として活動を広げ、数多くの弟子たちを育てました。

 

また、ブラジル国外の文化イベントなどにも出場し、カポエイラが単なる格闘技ではなく、文化・芸術であることを世界に示した人物でもあります。

 

 

5.晩年とその後の影響

晩年は不遇で、視力を失い、住む場所も失ってしまいますが、それでも彼の精神は多くの弟子に受け継がれました。彼の門下からは、メストレ・ジョアォン・グランジ、ジョアォン・ペケーノ、モライスなど、後の名メストレたちが輩出されました。

 

 

6.メストレ・パスチーニャの名言

 

“Capoeira é tudo que a boca come.”

「カポエイラとは、口に入るすべてのものだ」

(=カポエイラは生きることそのもの、すべてとつながっている)

 

 

 

メストレ・パスチーニャの存在なくして、今のカポエイラ・アンゴーラは語れません。彼の残した哲学と姿勢は、今も世界中のホーダで息づいています。

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