日記

2026-01-19 09:53:00

カポエイラ百科事典vol.19

Mestre Leopoldina

 

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カポエイラの歴史には、

技やスタイルだけでは説明できない人物がいます。

 

今回紹介する、メストレ・レポルジーナも、その一人です。

 

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カーニバルの土曜日に生まれた少年

 

メストレ・レポルジーナ

(本名:デメルヴァル・ロペス・デ・ラセルダ)は、

1933年、リオ・デ・ジャネイロで

カーニバルの土曜日に生まれました。

 

母親に育てられ、その後は叔母や近所の女性たちに世話をされながら成長します。

まだ幼い頃、彼は家を飛び出し、

リオ中心部と郊外を結ぶ中央ブラジル鉄道(セントラル線)周辺で、

列車に乗る子どもたちに飴玉を売って生活するようになります。

 

この頃の路上生活が、

彼の処世術や立ち振る舞いの基礎を形づくっていきました。

 

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SAM(未成年者保護施設)での日々

 

十代の頃、極度の貧困の中で、

レポルジーナは自らの意思で

SAM(未成年者保護施設)に入ります。

 

恐れられていた施設でしたが、

彼自身はこの時期を否定的には語っていません。

 

水泳を学び、

施設のある島の周囲を日常的に泳ぎ回ることで、

彼は高い身体能力を身につけました。

 

路上で生きてきた経験は、

施設の中でも彼を自然と人の中心へと導き、

状況を読む力をさらに磨いていきます。

 

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路上のカポエイラとの出会い

 

施設を出た後、

新聞売りとして生計を立て、やがて仲間をまとめる立場になります。

 

この頃、彼は

キンジーニョ(ジョアキン・フェリックス)と出会います。

 

キンジーニョは、

ビリンバウを使わないリオの裏社会のカポエイラ

「チリリカ」を操る人物でした。

 

この出会いが、

レポルジーナとカポエイラを結びつける最初のきっかけとなります。

 

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バイーアのカポエイラとの接続

 

キンジーニョが獄中で殺害された後、

身の危険を感じたレポルジーナは一時姿を消します。

 

再び街に戻った彼が出会ったのが、

バイーア州イタブナから来た

 

アルトゥール・エミディオでした。

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1954年頃、

レポルジーナは彼の弟子となり、

ビリンバウに合わせて行う

バイーアのカポエイラを学びます。

 

リオの路上で培った感覚と、

バイーアの形式が、

彼の身体の中で結びついていきました。

 

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港、そしてサンバ・マンゲイラへ

 

港湾で働き、

港湾労働者組織に所属した後、

事故による早期退職を経て、

レポルジーナはより自由な生き方を選びます。

 

1961年、28歳のとき、

彼はサンバ学校マンゲイラのカーニバルに初参加します。

 

マンゲイラは、

カポエイラをパレードに取り入れた最初のサンバ学校でした。

 

レポルジーナは60人ものカポエイリスタを組織し、

カポエイラを祝祭の場へと導いていきます。

 

この関係は、1970年代半ばまで続きました。

 

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メストレ・レポルジーナが残したもの

 

レポルジーナは、

多くを語る人物ではありませんでした。

 

しかし、

路上、施設、港、祝祭という場を生き抜いた彼の姿そのものが、

 

カポエイラのもう一つの歴史を今に伝えています。

 

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