日記
カポエイラ百科事典 vol.9
今月の歌
♪Os arcos da lapa me faz lembrar
Me faz lembrar, Me faz lembrar♪
カリオカ水道橋、通称"Arcos da Lapa"
全長270メートルに及ぶこの橋は、18世紀半ばにリオデジャネイロのセントラルに建てられました。
当時、アーチ状の建造物の上部には都市へ供給する水が流れており、上水道として機能していました。
現在そのシステムは廃止され、水の代わりに電車が走っており、リオデジャネイロのシンボルとして多くの観光客が見物に訪れます。
また、カポエイラにとっても歴史的に重要な聖地となっています。
今回は、このアルコダラパ周辺の広場、ラパ広場とカポエイラの歴史について解説していきます^_^
ラパ広場で始めにカポエイラがひっそりと行われたのは19世紀の半ば頃でした。
当時はリオの都市開発が積極的に進められており、ラパ広場はその影響をはっきりと映し出していました。
広場周辺にはクラブやレストラン、商店が次々と軒を連ね、アートやダンスなど、文化的にも大いに発展しました。
しかし、同時に悪党の巣窟のようなエリアでもありました。
19世紀の終わり頃にはカポエイラギャング(マウタ)の拠点としても有名になっていました。
その頃のリオのカポエイラは、ギャングたちの喧嘩やストリートファイトの技術であり、音楽など文化的な側面はありませんでした。
また、法律によって禁止されていたこともあり、大っぴらに行うこともできませんでした。
しかし、20世紀中頃にカポエイラ禁止法が解かれると、徐々に大々的なホーダが開催されるようになりました。
特に1950〜1980年代はリオでカポエイラが最も発展した時代となり、ラパ広場はその中心地でした。
今月練習している歌は、大いに盛り上がっていた当時のラパ広場での記憶が歌われています。
しかし、文化として大衆に開かれたとはいえ、当時のラパのホーダはまだカポエイラギャングの色が濃く、かなり危険なものでした。
蹴りや攻撃が寸止めされることはなく、容赦なく振り抜かれるため、熟練者以外は見物するしかなかったと言われています。
90年代にはその色は薄れ、より大衆に受け入れられるようになりました。
今でも広場では定期的にホーダが開催されており、カポエイラの聖地として愛され続けています。