日記
カポエイラ百科事典 vol.8
♪ No meu Rio de Janeiro, se minha memória não falha.
O Melhor Capoeira foi Manduca da Praia ♪
Manduca da Praia(マンドゥカ ダ プライア)は、リオデジャネイロのカポエイラの歴史において、伝説的なカポエイリスタです。
19世紀前半に生まれた彼は、背が高くがっしりした体格で、白髪のひげを生やしていました。
いつもきちんとした身なりをしていて、白いハットとゴールドの時計を身に着け、厚手のロングコートを着ていました。
そのエレガントな姿に周囲の人たちは感銘を受けると同時に、威圧的でどこか底知れぬ恐怖すらも感じていました。
今回は、8月に練習する歌のテーマにもなっているマンドゥカ・ダ・プライアについて解説していきます^_^
19 世紀後半のリオデジャネイロでは、カポエイラといえばギャングの代名詞でした。
パラグアイ戦争で徴用されたカポエイリスタは、戦場で活躍し英雄として帰還しました。
しかし、戦争が終わると行き場を失い、多くのカポエイリスタは裏社会へ流れていきました。
しかし、マンドゥカ ダ プライアはギャングの一員にはならず、地元で実業家となりました。
市場では魚屋を営み、週末には夜遊びに出掛けるなど、リッチな生活を送っていたのです。
また、喧嘩や当時禁止されていたカポエイラの練習で27 回逮捕されるといったアウトローな一面もありました。
何度も逮捕されたにも関わらず、刑務所に入ることはありませんでした。
彼は政治家や著名人のボディーガードの仕事もしており、有力者としてのコネを使うことで刑務所行きを免れていました。
マンドゥカはカポエイラマスターとしても異彩を放っており、警察や他のカポエイリスタとの数々の戦いで有名になりました。
敏捷で力強く、素手で複数の敵と戦うことができましたが、ナイフや棒、杖などの武器を使うことも得意でした。
しかし、彼の本当の武器は、その場で思考する並外れた能力で、そのおかげで、彼は対峙したほとんどの対戦相手を出し抜くことができました。
マンドゥカ ダ プライアの名を最も有名にしたのは、サンタナというポルトガル人の議員との戦いでした。
サンタナは腕っぷしが強く、棒術の達人としても知られていました。
議員として町を訪れたサンタナは、そこでマンドゥカ ダ プライアの噂を耳にして、彼に挑戦を申し込みました。
結果、マンドゥカがカポエイラの蹴りでサンタナを空中に蹴り上げ、勝利しました。
二人はそれ以降、生涯の友人となったといわれています。
数々の逸話を残し、無敗の強さを誇ったマンドゥカ ダ プライアですが、1877年に肺炎で亡くなりました。
生粋のマランドロ(トリックスター)だった彼の情報はあまり多くありませんが、それ故に人々の想像を掻き立て、伝説として今もなお語り継がれています。